電気通信大学
大学院情報理工学研究科
機械知能システム学専攻 教授
博士(工学)
阪口 豊
研究テーマは「ヒトが身体を動かすメカニズムを理解する」ことです.運動制御系としてみたヒトの特徴は「多い」「遅い」「変わる」の三つにあると考えています.「多い」とは「(必要以上に)多数の部品から構成されていること」,「遅い」とは「部品の動作や信号の伝達に時間がかかること」,「変わる」とは「学習や適応などによりその性質が時々刻々と変化すること」です.これらの特徴は,ロボットを含めて通常の機械制御系の性質とは大きく異なるもので,それゆえに,ヒトの運動制御を特徴づけるポイントであると考えています.
脳の運動制御の最大の特徴は,多数の自由度をもつ身体を多数の筋肉を使って制御していることです.このような多自由度で冗長なシステムを操るメカニズムはロボット制御の観点から見ても興味深い問題です.この問題は古くはロシアの研究者 Bernsteinによって精力的に研究され,その後も研究が続けられていますが,問題の難しさゆえにその進歩はゆっくりとしています.しかし,多自由度性はヒトが多彩で柔軟な運動能力を実現できる本質であり,従来の科学的アプローチがそのまま使えない難点はあっても着実に研究を進めるべき問題だと考えています.
脳は,信号伝達速度が遅い神経系と反応が遅い筋アクチュエータを用いながらも,この世の中で生きていくために,さまざまな運動を実時間で実行しています.このような「身体性の制約の下での運動制御戦略」には脳の運動メカニズムの特徴が隠されているはずです.制御系や計算システムのモデルを参照しながらそのメカニズムを探るのが研究テーマのもう一つの柱です.
仮に,脳が身体や神経系に内在する制約を活かして身体を操る制御戦略をとっているのであれば,その制約や性質を考慮した人工システムを付加することにより,ヒトの動きを自然な形で支援するシステムを作ることができるはずです.「補助することでヒトや脳の能力を衰えさせてしまう」のではなく,「補助することでヒトや脳の能力を引き出す」ようなシステムこそが理想的な支援システムです.我々の研究室で開発した「身体運動の可聴化システム」はそのような試みの一例です.
以上で述べてきた研究テーマは,つきつめれば「ヒトが身体技能を実現するメカニズムを理解し,その習得に役立てる方法を研究する」ものだといいかえることができます.今後は,さまざまな身体技能(音楽演奏,舞踊,工芸,武術などの専門的技能から歩行,バランス,日常的動作などの一般的技能まで)の詳細に着目して,それぞれの分野の専門家・実践者と議論しながら,身体を効果的につかいこなすメカニズムの理解,技能の学習法・教育法への展開,動きに伴う機能美の理解など,「身体技能の脳・身体メカニズム」をキーワードとした研究を展開したいと考えています.この研究を本格的に展開するために,平成25年10月に「技能情報学研究ステーション」を開設し,活動を始めたところです.
時間方向にも空間方向にも高次元である脳の運動指令に関する情報を,脳神経系はどのようにして表現し,また,生成しているのでしょうか?この問題についても,動物の脳内神経活動を解析している電気生理学者や情報理論を専門とする数理学者と協力をして研究を行なっています.
近年は研究の中心からはずれてしまいましたが,視知覚のメカニズムにも興味をもっています.かつては知覚的充填現象(フィリングイン現象)や視覚的注意について研究をしていました.視覚メカニズムの研究は日々進歩していますが,時空間的に広がった画像・映像情報を脳が分析・体制化する仕組みはいまだに謎のままです.