ぬりつける感覚

バイオリンの先生には,以前から何度も弓を絃に「ぬりつけるように」という指示をよく受けていたのだが,その感覚がしばらくわからなかった.この感覚が,最近になってようやくわかるようになってきた.「わかった」というほど安定した感覚ではないのだが,「ああ,この感覚をぬりつけるというのか」という気づきがあった.というわけで,今日は,この「ぬりつける感覚」について少し考えてみたい.

この感覚に気づいたのは,スラーでアルペジオの練習をしているときである.ちょうど,その前のレッスンで,アルペジオを単音ずつ(スラーでなく)弾くときに「すべての音符を同じだけ弓を使って弾くように」というアドバイスをもらったのである.アルペジオの練習というのは,音程にとぴがあるので,左手は音程を正確にとること,右手は移絃を正確にとることで頭がいっぱいになってしまう.その結果として,音階練習のところにも書いたように,一つ一つの音をどう処理するかだけを考えてしまい,弓をどれだけ使うかにあまり気が向いていなかった.あらためて,以上のようなアドバイスをもらって,一つ,一つの音に対して使っている弓の量が全然違っている,具体的には,弓元で弾くときに弓を使う両が極端に短いことに気付いた.

さて,一つ一つの音にたっぶり弓を使って単音のアルペジオの練習をしていると,当然,その効果はスラーでアルペジオの練習をするのにも波及してくる.つまり,3音,6音スラーでアルペジオを弾くときにも,すべての音に対して同じように弓を使うことに気が向くようになった.そして,その過程で弓を絃に「なでつける」というか「ぬりつける」という感覚に気づいたのである.

気づいてみると,この「ぬりつける」という言葉には何とも深い意味があると思えるようになってきた.バイオリンで弓で絃を弾くときの「普通の」感覚は「こすりつける」ではないだろうか.つまり,馬の毛でできた弓で絃をこすることで絃の振動を生み出す感覚である.これに対して「ぬりつける」とはどういう感覚であろうか.日曜大工で,刷毛で塗料やニスを木材に塗っている様子を想像してみるとよい.あるいは,絵筆を使って絵具を塗っている様子でもよい.いずれの場合も,塗る道具(つまり,刷毛や筆)は弾力のある素材であって,塗る対象に対して柔らかく接している.そして,塗るときは,刷毛とその接点の具合を指や手で感じながらその動きを調整している.これに対して「こすりつける」には,力をかけて対象に向かうことが主であって,対象との接し方を感じながら調整するという意味合いが抜けているのではないか.

「弓の量をそろえる」という練習する過程で「ぬりつける」感覚に気付いたのはまさに同じような理由からであろう.弓の量をそろえるには,弓がどれだけ動いているかを感じなければならない.もちろん,弓の動いた量を目で見て判断するのは一つの手がかりであって,一弓で四つの音符を弾くのであれば弓を4等分したところに印をつけて練習するというようなことをかつてはやったこともある.しかし,今回は,弓がどれだけ動いているかを触覚で感じようとしたところにポイントがあったと思う.弓がどれだけ動いているかを感じようとすると,おのずと弓が絃の上をどのように滑っているかに注意が向くことになる.音符の長さが一定で,弓を使う量を一定にしたければ弓が絃の上をすべる速度が一定でなければならない.このことに気を向けていると,弓と絃が相互にどのような関係性を保っているかを感じようとすることになる.弓が絃に対して等速度ですべっていく,これは,刷毛で木材にニスを塗るときの感覚と同じなのである.

対象を感じながら接するには当然力が入っていてはいけないから,この感覚は「腕や手の脱力」を促すことになる.このことに気付いたおかげで,E線を弓元で弾くときに手首に力が入ってしまうという問題点もクリアすることができた.

それにしても,「相手のことを感じながら相手に接する」という感覚はすべての技能に共通する本質的ポイントではないかと思う.どんな技能でもよいからいったんこの感覚が会得できると,他の技能でも対象に対する向かい方がずいぶん変わるのではないだろうか.


Last-modified: 2019-10-22 (火) 11:13:15