本研究ステーションは,身体技能の遂行およびその習得に関わるヒトのメカニズム(知覚・運動制御・機械力学・神経メカニズム・計算・情報表現・情報伝達などをすべて包含する)を解明するとともに,その知見に基づいて身体技能の習得や教育,支援について技能の実践現場へのフィードバックをはかることを目的として研究活動を行ないます.
「技能 (skill)」あるいは「身体技能」という言葉は,高度な職人技,複雑な楽器演奏といったように,反復練習により習得した特別な感覚・運動能力を意味することが多いです.しかし,歩行や立位姿勢の維持といった日常的な動作もまた生後の経験によって獲得した身体技能としてとらえることができます.したがって,身体技能の問題は,特別な能力をもった人だけではなくすべての人間にとって身近な問題であり,その分,社会的にも意味の大きな問題であるといえます.
その反面,身体技能に関する学術的研究はそれほど盛んではありません.その最大の理由は,技能のメカニズムに対して自然科学的な研究を行なうことが難しいことにあります.人間の身体は多数の骨や筋肉から構成されていますが,身体技能はそれらを全体として使うことによって実現されています.すなわち,身体技能は,膨大な自由度をもつ身体がシステムとして機能することによって実現されているといえます.そのため,要素還元論的な科学の手法,すなわち,問題を要素に切り分けてその一つ一つについてその効果を調べていく手法では,身体全体の働きを理解することが原理的にきわめて困難です.ある技能に関わる因子を個別にとりあげてそれを系統的に操作する実験ができたとしても,その実験から得られた知見は現実の技能と対応づけることはできないでしょう.
一方で,職人技に見られるように,技能の現場では個々人がそれぞれの試行錯誤を通じて独自のメソッドを確立していることが多いようです.このようなメソッドの多くは「個人の感覚」を土台としていますので,異なる個人のあいだで共通する構造,さらには,異なる技能のあいだで共通する構造を体系化するという観点に欠ける傾向があるといえます.実際,それらのメソッドは個人の身体的特性と不可分であることが多く,他者とのあいだでそれを共有することは難しいでしょう.このような技能と身体の不可分性は,技能の伝達・伝承における最大の障害であると考えられます.
だれでも経験があると思いますが,技能の習得過程では試行錯誤する中での本人の「気づき」が重要な手がかりとなることが多いです.このことからもわかるように,技能習得過程では身体を動かす「運動機能の学習」だけでなく,自分の身体や取り扱う対象を感じ取る「感覚や知覚の学習」も大きな要素を占めています.加えて,技能の習得においては学習者を支援する「教師」の役割が大きいことはいうまでもありません.学習者の特徴(長所・短所)を見抜いて適切な学習過程を誘導する教師の役割や,教師と学習者との技能コミュニケーションを系統的に理解することができれば,身体技能の習得過程の支援する上で大きな成果となるといえます.
本研究ステーションでは,このように,学術的に魅力的で未開拓な問題を包含し社会的にも重要でありながら,その難しさゆえに手がつけられていない身体技能の問題に対して,工学的・情報論的な観点からアプローチすることによりそのメカニズムの解明に寄与することを第一の目的としています.
さらに,道具を伴う動作におけるヒトと道具の関係(ヒト対もの),介助動作における介助者と被介助者の関係(ヒト対ヒト),また,技能習得過程における学習者と教師の関係など,技能遂行や習得におけるコミュニケーションのメカニズムを明らかにすることが第二の目的です.
そのうえで,特別な装置に頼ることなく,ヒトそのものが持っている身体能力を引き出したりそれに働きかけたりすることにより,技能の遂行を支援しその質を向上させる方法を開発することを第三の目的です.自己の身体の特性を知りその能力を引き出す過程を支援できれば,怪我や故障から自分の身を守ることを助けることができます.これは,身体の障害をかかえる人を減らすという意味で社会的な効果が大きい研究課題であると考えています.