演奏中の視野と注意

今回は,ピアノ演奏中の注意の向け方について書いてみたい.

練習中にうまく弾けない部分があるとき,自然と自分の注意はその部分に集中することになる.例えば,「音をはずしやすい(誤った鍵盤を叩きやすい)箇所」や「指がうまく回らない(テンポ通りに正しく鍵盤を叩けない)箇所」では,自分の注意は,そのうまく動かない指の動きに集中しがちである.これは,次のような「選択的注意」の考え方に基づけば極めて合理的な行動である.

「選択的注意 (selective attention)」あるいは「焦点化注意(focal attention)」とは,脳が自分の情報処理資源を特定の対象に集中させる(焦点化する)ことによって,その対象に対する情報処理をより重点的に行なうためのメカニズムであると考えられている.例えば,読み取りにくい文字があるときには,その文字に注意を向けて文字の分析に情報処理を集中させるといった具合である.したがって,脳研究の分野では「注意を向ける⇒情報処理の促進」という構図で捉えられることが一般的である.

このような「選択的注意」の性質を念頭におけば,ピアノ練習時の「うまく弾けない指」の動きに注意を向けることはごく自然なことであるように思える.しかし,現実に練習しているときには,むしろ,「うまく弾けない指に注意を集中しない方がうまく弾けるようになる」ことがよくあるのである.

一つ例をあげてみたい.以下に示す楽譜はショパン作曲スケルツォの第2番の一部である.この部分では左右の手が幅広い音域にわたって高速で移動するのであるが,私がこの部分を弾こうとすると途中で音をはずすことがしばしばである.このようなときに,自分の注意は自然とこの音をはずす(特に)右手の動きに集中してしまう.しかし,このようなときにあえて注意を向ける範囲を右手が動き回る範囲に広げる,あるいは,さらに左右の手を含めた鍵盤全体に広げる(視野を広げる感じにする)と,「鍵盤全体に対する身体全体の定位感」(うまく表現できないけれど,主観的にはそんな感じがする)が増してむしろ音をはずしにくくなる.言葉で表現するのは難しいが,個々の鍵盤を捉える動作ではなく左右の手や腕の運行状況(さらには,全身の使い方)を全体として把握する感じになって,むしろうまく弾けるようになるのである.

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このような現象は,「選択的注意」の負の側面を考えれば理解できるようにも思える.選択的注意を特定のものに向けることは,「注意を向けた対象以外に対する情報処理が疎かになる」ことを意味する.自動車運転中に交差点で右折しようとして,対向車線の直進車の動きに気をとられると,横断歩道をわたろうとしている歩行者に気付きにくくなるといったことがあるが,これも「選択的注意」の負の側面である.このような性質は,脳が一時に行なえる情報処理容量には限りがあって,特定のものに大きな容量を投入してしまうと他のものに回せる容量が少なくなるための性質として理解されている.

ただ,このような「選択的注意」の考え方では,「うまく動かない指に注意を集中させると他の情報処理が疎かになる」ことまでは説明できても,「注意を広い範囲に分散させるとなぜうまく弾けるようになる」を積極的に説明することはできない.ピアノ演奏に限らず,さまざまな身体技能の遂行において「視野を広く保つ」「特定のものに注意を集中させない」ことの重要性が指摘されることがあるが,このような「分散的注意」の効用やメカニズムについてはまだ十分に研究されていない(アレクサンダーテクニックにおける「包括的認識力(inclusive awareness)」もこれに相当すると考えられる).

このように,「視野を広げる」とうまくいく感覚運動メカニズムはよくわかっていないが,うまく弾けない箇所に遭遇したときは「自分の注意が特定の箇所に留まってしまっていないかどうか」を自問してみることは有効だろうと思う.特に,意図せずに注意が特定の箇所に囚われてしまっているときは,いったん視野を広くしてみると身体全体の協調的な働きがとりもどされるような気がする.

このような現象が生じる理論的背景については人工知能学会での研究発表でそのアイディアの一部を書いてみたので,興味のある方は参照してほしい.


Last-modified: 2019-10-22 (火) 11:13:15