ピアノ演奏技能の本質

先日あるピアニストの先生から,ピアノ演奏技能の本質は「複数の音の関係を精密にコントロールすることである」という趣旨のお話しをきいた.今回は,この話しを私なりに理解した内容について書いてみたい.

ピアノは,ピアニストが鍵盤を叩いたのちピアノ内部のアクション機構によってハンマーが弦を打つことによって発音する楽器である.したがって,ハンマーが弦を叩いてしまったあとは,もはや出てしまった音をコントロールすることができない.つまり,鍵盤を最下点まで押し込みハンマーが弦を打ってしまったあとに,鍵盤上でどのように指を動かしてもいったん発せられた音は変化しない.そのあとにコントロールできるのは,音を切ること,すなわち,弦の振動を抑えるダンパーの上げ方やそのタイミングを調整することだけである.したがって,音の切り方を気にせずに,打鍵によって生じる音のことだけを考えれば,本質的なのは「ハンマーが弦を打つまでの鍵盤の動きの制御」である.さらに突き詰めれば,本質的パラメータは「弦を打つ瞬間のハンマーの運動速度」だけだといってよい(グランドピアノでは,ソフトペダルを使うことでハンマーと弦の位置関係を調整して音色をコントロールすることもできる).鍵盤を強く叩けばハンマーの運動速度が大きくなって大きな音が出るし,鍵盤を弱く叩けば,逆に,ハンマーの運動速度が小さくなって小さな音が出る.最終的に実現されるハンマーの速度さえ同じであれば,だれが鍵盤を押して同じ音が出ることから,「猫が弾いても同じ音が出る」という人さえいる.

多くの人にとって,このような物理的な因果性に基づく機械論的な演奏の捉え方は味気ないものに聞こえるに違いない.しかし,このことはクロイツァーの「藝術としてのピアノ演奏」 という著書(日本語翻訳の132ページ以降C節.「ピアノの音と構造」)に明確に書いてあることから,ピアニストや指導者のあいだでも認識された内容であることは間違いない.このほか,電子楽器の制御に用いられるMIDIコードにおいても,一つの音は,音を鳴らし始める“Note on”というイベントのタイミングと強さ(velocity),および,音を終わらせる“Note off”というイベントのタイミングと速さ(velocity)の4つのパラメータしかないことは,打鍵の時刻と速さ,離鍵の時刻と速さが本質的であることを捉えている.

このように,弦楽器や吹奏楽器と比べて,ピアノという楽器の演奏は,音を出す動作自体はきわめて単純である.他の楽器に比べてピアノを習った人が多いのは,まともな音が出せるようになるまでに苦労するバイオリンなどと比べて,ピアノでは鍵盤を叩くだけでだれても同じ音が出せることが大きな要因であろう.このように,打鍵という発音動作自体に特別な能力が必要でないとなると,ピアニストはいったい何をコントロールしているのであろうか?この問いに対する答えが,冒頭で述べた「複数の音の関係のコントロール」である.

現実のピアノ曲の演奏において,一つの音だけを「ポーン」と弾いてそれで終わりということは決してない.単旋律を歌うにしても,右手で旋律を弾きながら左手で伴奏を弾くにしても,必ず演奏は複数の音から構成される.

いま,最も単純なケースとして二つの単音から構成される音の列(例えば,ド・レ)を奏でる場合を考えてみよう.この音列を演奏しようとしたとき,まず,この二つの音の強さをどのように作るかという問題が生じる.例えば,二つの音の強さを揃えることもできるし,一つ目の音を強く二つ目を弱くすることもできる.いずれにしても,二つの音の関係を考えて,その関係が実現できるように打鍵の強さをコントロールしなければならない.このとき,例えば,一つ目の音は人差し指(2の指)で,二つ目の音は中指(3の指)で弾くとなると,指ごとに打鍵動作の特性は異なるので,目標とする音の強さが実現するためには,指ごとの特性を踏まえて打鍵のための運動をコントロールしなければならない.

次に,思い通りのテンポで二つの音を鳴らすためには,二つの音を鳴らすタイミングを精確にコントロールしなければならない.つまり,複数の音の時間的関係性を調整することも必要である.

さらに,二つの音がなめらかにつながっているように聞こえるか,別々に切り離されて聞こえるかのコントロールも重要である.このコントロールは,一つ目の音をいつどのように切るかによって,つまり,一つの目の音を鳴らした鍵盤をどのようなタイミングでどのような速さで開放するかによって決まる.このことは,鍵盤を叩く動作だけでなく,鍵盤を離す動作についても,その速さやタイミングのコントロールが重要であることを意味している.

このように,たった二つの音から構成される音の列であっても,それらを思い通りに奏でるためには,2回の打鍵の強さとタイミング,鍵盤を離すタイミングとその方法という複数のパラメータを精密に調整しなくてならないのである.

今度は,二つの音を同時に鳴らす(例えば,ド・ソ)場合を考えよう.この場合も二つの音の打鍵の強さとタイミングの調整が必要である.音の音色は,高い音と低い音の音量比によって変わるので,ピアニストは二つの鍵盤を叩く強さの関係を精密にコントロールしなければならない.高い音を強く弾かねければならないケースもあるし,低い音を強く弾かねればならないケースや両方の音を揃えなければならないケースもあるだろう.次に,楽譜上は同時に弾く指示があっても,音楽表現上二つの打鍵のタイミングをあえてずらした方がよい場合があるので,二つの鍵盤を叩くタイミングも調整しなくてはならない.例えば,同時に鳴らす複数の音のうちどれか一つを目立たせたい場合には,その音を別の音よりもほんの数十ミリ秒だけ早く弾くことが有効であることが知られている(実験的にも証明されている).このような場合は,その音の鍵盤だけを他の鍵盤よりも少しだけ早く打鍵することが求められる.逆に,すべての音が揃って一つに聴こえるようにするには,すべての鍵盤を同時に打鍵することが必要である.

このように,二つの音を同時に鳴らす場合においても,二つの音列を鳴らす場合と同様に,それぞれの打鍵の強さやタイミングの微妙なコントロールが求められるのである.このようなコントロールの問題のほとんどは「二つの音を鳴らす」という課題によって初めて生じる問題であり,そして,演奏中に弾く音の数が増えれば増えるほど,調整すべき箇所は増えていく.

しかし,このことを逆の視点から見れば,曲の最初から最後まで,楽譜に書かれたすべての音符について,その音を生み出す打鍵・離鍵の方法とタイミングを完全にコントロールすることができれば,めざす音楽を実現できることを意味している.音楽演奏においては,鍵盤のコントロール自体は目的ではなく,優れた音楽を奏でることが目的であるから,優れた音楽が生まれるように鍵盤をコントロールすることが本質である.ただ,上で述べてきたように,そのための身体運動としての作業は,突き詰めれば,打鍵と離鍵に関わる物理的パラメータを調整することに集約される.

そのように考えると,ピアニストの仕事というのは非常に冷徹な作業であるように思えてくる.多くの人から見れば,ピアノ演奏という藝術的活動がこのような作業の連続によって生み出されることに強い矛盾を感じるところであろうし,このような見方に同意しないピアニストも多いに違いない.一方で,このことは,明治から昭和にかけて活動したピアニスト・音楽評論家の兼常清佐がすでに指摘しているところである.彼は,この時代においてすでに「将来ピアニストはいなくなって自動機械がそれにとって代わる」という趣旨の主張を行っている.興味のある人は,彼の著作の一つである「音楽の教室」という対話形式の話を読んでみると面白いだろう(復刻版は非常に高価なので,どこかの図書館で借りて読むしかない).そこでは,打鍵のコントロールは機械でもできるから(人間よりも機械の方が得意であるから),作曲家の意図を正確に再現できる自動機械ができればピアニストは不要である,という趣旨の議論が行なわれている.

こういう議論を踏まえると,そのような正確な打鍵動作の実現がどのような身体・脳のメカニズムによって実現されているのかを解明することが,身体技能メカニズム研究に課された課題であるといえるだろう.


Last-modified: 2019-10-22 (火) 11:13:15