サーバ引っ越し後ブログの方に記事を投稿することにしました ヴァイオリンのはなし大学の研究者には楽器の演奏を趣味にしている人がけっこう多い.私の所属する研究科にはチェロを弾く先生やクラリネットを吹く先生がいるし,脳研究者の中にも少なからず楽器を弾いている先生がいる.私自身も小さいころにピアノを習っていてそこそこ弾けたのだが,小学生のうちにやめてしまい,その後は気の向いたときにぱらぱらと触る程度だった.身体技能を研究課題とするようになって以来,たまにピアノに触ってみるといろいろと新しい発見があるのだが,それでもやはりピアノではできないことがいろいろとあって,以前から木管楽器か弦楽器を弾いてみたいと思っていた. ただ,思っているだけではいつまでたっても弾けるようにはならないので,あるとき(平成23年4月)に思い切って先生についてヴァイオリンを習い始めた.もうすぐ50歳というこの年で弦楽器を始めるのが無謀なこととは承知しているが,いざ始めてみるといろいろと面白いことやメモを残しておきたいと思うことが出てきた.そこで,思いついたときにエッセイ風にメモを残しておこうと考えて作ったのがこのページである. 楽器演奏を練習することは実は「研究」に他ならない.練習する人はいつも「どうやったらうまく弾けるようになるか」を考え続けているからである.職業研究者である大学教員,それもヒトのメカニズムを研究している自分としては,これは仕事の一部であり,まさに「一人称研究」である.私が練習の過程で感じたことは真実であり,それにはヒトの感覚運動メカニズムや認知過程を理解するうえで何らかの意味があることである.一方で,練習中の一個人の内省・内観をそのまま学術論文誌で発表することは自然科学の掟の下では許されない.そこで,論文には書けない個人的な印象を記録して残すことがこのメモの趣旨である. なお,ここに書いたことは初学者の私があくまで自分の印象で書き記したもので,ほかの人がいっていることと違う内容や正しい弾き方とは異なった内容も書いてあるだろう.でも,それは筆者の主観だから仕方のないことであるし,主観と客観のあいだにずれがあることはよくあることである.世の中にはヴァイオリンに関する書籍や教則本,ホームページが多数あるので,細かいことはそれらに任せたい. 大学における音楽教育・研究の意味については「アメリカの大学にはなぜ音楽学部があるのか」(外部リンク)を参考にしてほしい. 項目
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